こんにちは、もとみんです。ここ数日、春を通りこして夏になったのだか暑くて仕方ありません。今年も猛暑になるのかなあなんて思うと今から絶望感ハンパないですね!
それはさておき、少し前、東大の祝辞が話題になりました。どんなものかと覗いてみたところ、第一印象は「え、祝辞にジェンダー論!?」といったかんじで、全文を読んでようやく、おお、なるほどと思えた次第です。
わたしはてっきり、スティーブ・ジョブズさんや堀江貴文さんのスピーチのようなものを想像していたので、そこから考えるとだいぶイメージが違いましたね。
この祝辞には、東大生5人が私大の女子大生にわいせつ行為を働いた事件についてが盛り込まれていました。この事件についてはうすぼんやり覚えていたのですが、姫野カオルコさんがこの事件をもとに書かれた小説は読んだことがなかったんですよね。
祝辞を見てから妙に読んでみたくなって、もう耐え切れずに先日購入しました。ラストが気になって、わたしにしては珍しく正味1日で読了です。
なんともいえない読後感でしたが、今回はこの姫野カオルコさんの小説『彼女は頭が悪いから』の感想というか、読後に感じたことをつらつらと書いてみたいと思います。
※この記事は長めです。また、個人的主観に基づいた感想です。
2019年の東大祝辞で言及された
祝辞の内容はそこそこ長いですが、事件について言及されていたのはこの部分です。一部引用いたします。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。
この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。
「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
実際の祝辞全文はこちらから読めます。それにしてもめちゃくちゃブクマされてますね!
モデルとなった事件とは?
『彼女は頭が悪いから』のモデルとなった事件は、2016年の春に起こりました。東大生3人と東大院生2人の計5人の男子が、私大に通う女子大生1人に対し、東京都巣鴨のアパートの一室で強制わいせつを行ったものです。
男子学生5人はインカレサークル「東京大学誕生日研究会」をつくり、他大学の女性らと飲み会を繰り返してはわいせつ行為に及んでいたそう。また、彼らのバックボーンを活かして芸能界入りをチラつかせ、過激なポーズに応じた女性の写真や動画を撮ってお小遣い稼ぎもしていたようです。しっかりビジネスしてるあたり東大生っぽい。
この事件の特殊なところは、被害者女性が「誕生日研究会」のメンバーではなかったことです。彼女は男子学生の一人と一時期懇意にしていたため、事件当日その場に呼び出されたのです。しかも「飲み会の盛り上げ役」として。
被害者女性は全裸にされ、胸を揉まれたりカップラーメンの熱湯を落とされたり局部にドライヤーの熱風を当てられたり肛門に割り箸を刺されたりとヒドイ扱いを受けました。また、叩かれたり蹴られたりもしたそう。被害者女性がなんとかその場から逃げて110番したため、事件発覚と逮捕につながりました。
関連サイト
この事件では、被害者女性のほうがネットでディスられるというセカンドレイプが起こっています。姫野カオルコさんはそこに疑問を感じ執筆に至ったのだそうです。
東大のメディアに詳しいインタビュー記事がありますのでリンクを貼っております。
一番ヤバイやつは誰なのか?(※ネタバレ注意)
『彼女は頭が悪いから』は、この事件を着想を得たフィクションということになっています。そのため、どこまでが本当でどこからがフィクションなのかはわかりません。
小説なのでそれぞれの登場人物の内面にスポットが当たっているのですが、果たして彼らは本当にこう思っていただろうか…ということが逐一気になりましたね。
この小説の女性主人公は、私立女子大に通う21歳の神立美咲。被害者の女性がモデルです。いわゆる普通の女の子で、恋にはちょっと疎い。家庭では長女としてしっかりした姿を見せており、優しく純粋な印象です。ただし自己肯定感が低い。
男性主人公として描かれているのが、広尾育ちの東大生・竹内つばさ。エリート家庭で育った彼は、健康食好きの母があれこれ世話してくれるのが当然という環境。司法試験を放棄した兄をもつ次男で、ドライな合理主義者です。
つばさは美咲の初体験の相手であり、一時期セフレ関係にありました。実際の事件で被害者を呼び出した男子がモデルになっています。
この事件で最初に逮捕されたのは、インカレサークルの発起人である譲治。彼はお小遣い稼ぎの提案者でもあり、金にものを言わせています。プライドが服を着て歩いているかのような描写が印象的でした。事件がおきたときも、美咲に積極的にわいせつ行為を働いた人物です。
そのため、譲治がいちばん「やべーやつ」のような気分に陥るのですが、この本を最後まで読み、さらに現実の公判についての情報も見てみると、どうやらつばさのほうが「やべーやつ」かな?という気がしてきます。
この話のラストで、つばさはこんなことを呟きます。
「巣鴨の飲み会で、なんで、あの子、あんなふうに泣いたのかな」
公判において、なぜ彼女にあのようなことをしたのか問われた際はこう証言している。
「飲み会を盛り上げようと思った」
作中にも書かれていたけど、つばさにとってこの飲み会での美咲は、カラオケ店のタンバリンと同じだったのでしょう。美咲が泣きはじめてその場がしらけると、「なに泣いてんだよ」とバンバンと背中を叩く。
この作品では、つばさ=合理主義者と強調されているけど、個人的には共感力の低さが際立ってるなと思いました。あと他人(の感情)への徹底的なまでの無関心さ。どこかのサイトでサイコパスと書かれていたけど、まさにそんな感じですね。
他人の心の動きがまったくわからないわけではないけど、わかろうとしていない。それを理解しようと努力することが「時間の無駄」だからです。そして、そういう感情の機微を理解しようと努力している人間を見ると「キモい」と思ってしまう。
この小説のラストがこのセリフなのは、なかなかパンチがあります。だって、なにがどう悪いのかそれが理解できていない。
彼の中で「別に普通のことをやっただけ」だと解釈すると、事件の核はなにも解決していないのだから。
「強制わいせつ」というより「いじめ」
これは「強制わいせつ事件」らしいのですが、、男子学生らの弁護士は「強姦目的は皆無。実際レイプなどしていない。傷つけるつもりはまったくなかった」的なことを言って弁護しているのですが、その一文を見たときに疑問に思ったことがあって。
わいせつって、挿入しなかったら許されるの?
挿入ナシなら相手の同意なしに全裸にして胸を揉んでもいいの?
確かに彼らはそういう行為をしていません。むしろ男子学生の一人は「東大生の俺がお前なんか相手にするわけないだろ。思い上がるな馬鹿女!」的なことを心中で思っています。
ということは、どんなに胸を揉んだとしても性的な気持ちで見てはいなかった。じゃあどんな気持ちだったのか? なぜ彼らは美咲を裸にして玩具にしたのか?
この疑問への答えは、本書ではこのようになっています。
彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に通う生き物を、大笑いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだった。
姫野さんは「東大ではないことに対する蔑み」を理由としています。
わたしはこのシーンを読んだとき、「あれ、これっていじめに似てるな」と思いました。裸にしたり胸を揉んだりしているから強制わいせつなのかもしれないけど、相手を「モノ」のように扱っているあたりが、中学や高校で問題視されている「いじめ」と同じだな、と。
感情的隷属という合法的な奴隷
「レイプされなくてよかったね」というようなセリフが出てくるのだけど、ここはすごく考えさせられましたね。もちろんレイプされたらさらにトラウマが深くなっていたでしょう。ただ、どんなに挿入行為がなかったとしても、彼らのした侮辱行為の内容って、「人間扱いしてない」気がするんですよ。
つばさは、美咲が自分のことを好きだと知っていた。自分のいうことにはなんでも「うん」と頷くとわかっていた。こういうのを世間では「都合のいい女」といいますが、これはあくまで相手に女性としての機能を求めた場合です。
ところがこのとき性欲はとくになかったのだから、むしろ「どう扱っても良い奴隷」といったほうがしっくりくる。激しい言い方をしてしまって申し訳ないけれど機能的にはそう。そう思ったので、強制わいせつと見た瞬間、「え、人権侵害じゃないの?」と違和感を覚えたほどです。
ヒドイことをされたあと、美咲は何度かつばさに反抗していますが、それに対してつばさはムッとしたりイラッとして、強制的に言うことをきかせています。「うまく言いくるめてコントロールする」レベルを超えて、「俺のいうことは絶対。お前に拒否権はない」に変わっている。これはもはや「都合のいい人」ですらないです。だって自分の意見を主張することが許されないのですから。
だけど、こういう優越感や選民意識が果たして「東大生だからなのか?」と考えると、そうとは言い切れない気がするんですよね。東大ブランドもあるかもしれないけど、特にブランド力がなくとも彼らと同じようなことをする人はいるだろう、と。