エンタメのはなし

映画『さんかく窓の外側は夜』に納得できる人と納得できない人の視点の違い

2021年2月1日

こんにちは、もとみんです。

先日、万全対策のなか『さんかく窓の外側は夜』という映画を見てきました。今回はこの映画の感想をかねて語ってみたいと思います。

この作品はもともと漫画ですが、漫画は未読ですので、あくまで映画についての感想になります。漫画未読ユーザーの意見ですのであしからず!

 

映画『さんかく窓の外側は夜』とは?

 

そもそもどんな作品?ということなのですが、公式的なアナウンスではこのようなあらすじになっています。ちなみにYouTubeに予告動画があったので貼っておきます♪

 

霊が「視える男」と「祓える男」運命の出会いは謎の呪いを止められるのか?心霊探偵バディが難題に挑むミステリー・エンターテインメント

 

この作品には、岡田将生さん、志尊淳さん、平手友梨奈さん、滝藤賢一さんなどが出演しています。岡田さん演じる理人と志尊さん演じる康介がバディを組むので、この2人のW主演というかたちになるかと思います。ちなみに平手さんもかなり重要な役どころでしたね!

 

※以下、ネタバレがあるのでご注意ください!

 

オカルト好きにはたまらない設定

さっそく映画を見た感想なのですが、も~オカルト好きにはたまらん設定でしたね! 個人的に心霊ネタが好きなので、「霊が視えるけど祓えない男」と「祓えるけど霊は見えない男」という設定自体がワクワクしました。

そしてなによりオイシイと思ったのは、宗教が絡んでいたことです。宗教がらみのネタって最高におもしろいですよね! なぜかって、宗教は心理に直結してるからです。

なにを信じるか、何をよしとするか、何をベースに生きていくか…そういうのがギュッと詰まったものが宗教だと思います。

この作品に出てくる宗教は、けっこうガチの新興宗教です。しかも人を呪い殺すこともできる。このあたりがオカルトたるゆえんですが、実際の宗教でも妄信的になれば自分のコミュニティに属さない他者を殺すことも厭いませんよね。

そういう意味では、「呪い殺すこと」はただのオカルトではなく、本当に存在するといっても過言ではありません。

はっ!!!

呪いといえば、さいきんは『鬼滅の刃』につづいて『呪術廻戦』が流行ってますよね。あの作品もテーマは呪いで、その呪いとは人間の負の感情がベースとのこと。人間の感情から派生している「呪い」は、ひょっとするといつの時代も人の興味をひくのかもしれません。

 

この物語は、だれのための物語なのか?

この映画作品では、理人(岡田君)が康介(志尊君)をスカウト(?)して、心霊探偵事務所でバディとして活躍していきます。

二人はくっついていると(描写的に、理人が康介の心臓に手をあてると?なのかもしれません)霊の記憶などが見え、過去がわかります。それにより理人は、警察が解決できないオカルト系事件に協力しているようです。

そんな日々のなか、康介は、霊の記憶のなかで「ヒウラエリカに騙された」という言葉を聞きます。そのヒウラエリカ(平手ちゃん)という存在は、ある宗教組織で呪いをかける仕事をしている女子高生でした。

彼女は、組織のために呪いをかけるという自分に嫌気がさしていて、誰かに気づいてほしくて霊の記憶のなかに自分の本名を遺しました。それに見事気づき、彼女がキーマンなのではないかと問題視したのが康介です。

理人は彼女の名前を知っていても、それを無視していたんですね。なぜなら、呪いによる不可解な死がなくなれば自分の仕事にも影響がでてしまうから。つまり元凶をそのままにしておけば仕事が維持できるということです。

そういう理人のやりかたに激怒する康介。彼は単身、呪いの元凶である場所へと乗り込んでいきます。そこでヒウラエリカと合流し、彼女の手伝いもあって、呪いのはじまりとなったものをつきとめました。

で、この呪いの元凶は宗教組織が作り出したものなのだけど、実はその呪いのはじまりは理人にあったんですよね。そこで、理人の過去があきらかになっていきました。

……と、ストーリーはこんな流れで進んでいきます。

最終的には理人の過去や本当の想いもわかって大団円なわけですが、個人的にはちょっとモヤモヤした気持ちが残りました。

 

それはなぜか?

 

この物語は、だれのための物語なのだろう?

 

と思ったからです。

 

譲る系主人公・康介のメシア感

この作品は、岡田君と志尊君のW主人公とのことですが、原作の漫画では岡田君演じる理人が主人公のようです。

そしてこの映画では、志尊君演じる康介の視点で始まります。つまり「主人公=康介」というのに近い視点なんですよね。二人は早い段階で出会うけど、康介の視点と心情がメインなので、どうしても康介が主人公というイメージになります。

彼は霊が見えることで幼少期にいじめられていました。そして、いじめっこが霊に殺されたとき、見て見ぬふりをして逃げだしたことにトラウマを抱えていました。だからこそ彼は、もう逃げたくない!という意思をもち、宗教団体に対峙したんですよね。

最終的に彼は、お母さんに「霊が見えること」を告白。母は気味悪がることもなく、「へ~そうなんだ。ちょっと目がよかったってだけじゃない」と彼を肯定し、彼もトラウマを克服します。

康介はしっかり「自分の問題」を完結させているから、それがメインで終われば「ああ~よかった!」で終わったんですが…

 

問題は理人なんですよ!

彼の抱えるトラウマは康介とは段違いなわけですよ!

も~デカすぎる!!!

 

で、この作品のクライマックスは、康介に関する問題ではなく、「理人の抱える過去や本当の心情」なんですよね。

 

これはどういう構造か?

 

そう、康介が理人を救う展開です!

 

康介は、理人と出会うことで自分に自信をもてました。彼はそれを自覚してるし、実際に理人にそれを告げて感謝もしています。

だから、康介が一方的に理人を救ったわけではなく、「お互いがいたからお互いが救われた」という認識になるかと思います。

 

しかしですよ!?

 

最後の最後まで隠されてきた理人の過去がクライマックスに明らかになり、本人自身が自覚していない根本的な心の闇を康介が打破し、さらに手をさしのべて救っている時点で、も~そっちのほうが強烈に頭に焼き付くわけですよ!!!

 

康介のあふれ出るメシア感!!!

 

ああ…このメシア感、どっかで見たことある…

 

そう思って脳内を振り返ったところ、「黒子のバスケ」でした。黒子っちがどうメシアなのかは↓この記事で熱く語ってます。

 

 

脳内では「主人公=康介」という意識があるにもかかわらず、主人公の問題より理人の問題が大きく取り上げられた上、それが解決される…

もうこの時点でわたしは「これはメシア系主人公の作品なんだな」と思いました。ちなみにさいきんこういう「自分の問題よりほかのキャラの問題を解決する主人公」がけっこう多い気がします。2020年にヒットした『鬼滅の刃』もまさにこれです。

一昔前は、「自分の信念や目標があって、その信念によって誰かを救う」という、あくまで主人公の人生の目的を主導とする物語が多かった気がするんですよね。

 

事前情報なしに映画を見た私は、エンドクレジットで衝撃を受けた

ところで、私はこの映画を事前情報まったくなしで見ました。岡田君と志尊君がW主演ということで「げへへ~イケメン映画やん♥」と思ってウハウハはしていましたが(笑)内容がミステリーだったので、ごく普通の作品だと思っていたのです。

ところが映画を見始めて、2人の距離があまりにも近かったり、メシア感が溢れてでていたりで、「なんだかBLっぽいなぁ」と思いました。そして、原作は漫画かラノベ系かな?と思っていたんですよね。

 

そしてエンドクレジットを見たら…

 

ヤマシタトモコさん原作ではないですか!!!

しかもリブレ出版って!!!

 

自分はBLも描いてるもので、その端くれとしてこの作品を知らなくて不甲斐なかったです; インプットするものが偏ってるんですよね…(反省)

ヤマシタさんといえばBLでもその他の作品でも大活躍されている作家さんですが、リブレ出版となると「これはBLだわ!」となります。で、あとで調べてようやく知ったことですが、MAGAZINE BE×BOY掲載作品だったのですね。

ということは、ガチBLっすね!!!

メシア感は、BL(ボーイズラブ)だと大納得できる要素

ここまできて、わたしはようやく康介のメシア感に納得できました。主人公が自分のストーリー(人生)よりも誰かの救済に主眼を置くのは、もちろんその人を救いたいからですよね。

こういうのは少年漫画にも「友情」として描かれますが、それが最終目標になることはほとんどありません。

たとえば『鬼滅の刃』は妹の救済がメインなので、誰かの救済のために戦っていることになりますが、これは相手が妹だから…家族の絆という血の濃さがあるからですよね。

この映画の場合、2人は「運命の人」かもしれないけど、基本的には他人です。でも、「それ以上のなにかがあるんだなあ」とやはり感じました。

でも、ふつうの映画でこれほどの濃密さ…相手の心の闇を祓うほどのメシア感を出すのは珍しいなあと思ったんですよね。だからこそ、なんかもやもやしたんです。

しかし…

BL作品だといわれれば大納得なんですよ!!!

この作品の場合は、がっつり恋愛というよりブロマンスのようですが、それでも掲載誌がBExBOYだからBLのカテゴリーには変わりないでしょう。

BLということは、友情<愛情です。しかしこの作品はブロマンスなので、友情≦愛情、ってかんじかもしれません。世間でよく言う「友情以上恋愛未満」みたいなかんじでしょうか?

そう…BLとして描かれているなら、自分を犠牲にして誰かを救済するのもありなんですよね。だってそういうジャンルなんだもん! BLは恋愛ベースのジャンルだから!

康介と理人では理人のほうが能力値が高いかんじですが、いわば下の人が上の人を救うみたいな在り方も、BLならむしろ美味しいってもんです。(BLでは年下攻めとかオヤジ受もモテますもんね…)

そんなわけで、もしこの映画作品について「むむ??」という感覚をもつ人がいたら、BLという視点で見てみてください。大納得ですから!!!

理人と康介の絆構築の時間について

原作の漫画ではきっと、もっといろんなエピソードがあるんだろうなあと思いました。この作品を映画化するにあたって、2人が心霊探偵として活躍するエピソードはかなり省かれたのではないかと思います。

映画では出会いから事件解決までの時間が早かったので、どうやって2人が絆を深めていったのか、ちょっと謎が残りました。たぶん原作ではいくつもの事件を解決して、その間に喧嘩したり仲直りしたり…といった繰り返しがあったのでは、と思います。

出会ってから別れまでがけっこう短時間だったので、「そんなに仲良い感じしないのに理人を救うなんておぬしはメシアか康介えええ!いい奴やああ!号泣」と思いましたが、漫画ではこの違和感はないのかもしれませんね。

BLもふつうになったなあと思う今日この頃

それにしても最近はBLもふつうになりましたよね。数年前に「おっさんずラブ」が大ヒットし、これがきっかけでだいぶ市民権を得たのかな?と思います。

今回のこの映画は主だってBLとはアナウンスしていないようなので、そうとは知らず見る人も多そうですね。ただブロマンスなのであまり違和感ないのかな??

ちなみに一緒に観に行った連れ(男性)はやはり事前情報なしで観覧しましたが、「なんかBLっぽいね」と申しておりました。やっぱわかるんか~!(笑)

最近では、がっつり恋愛主体のBL作品もたくさん映画化やアニメ化されていますよね。ユリ作品も多いし、ほんとうに自由な世の中になったなあと思います。

しかしだからこそ、既存の価値観に迎合したり追随したりするよりかは、「自分はなにを信じるか」を強くもつことが大切なのだろうなとしみじみ感じます。自由は保障がない。ある意味むずかしいですね。

そんなわけで、創作ヲタクの独自視点考察でした!

ではでは、また!

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