ちょっと語ってみた

孤独な女性はどう生きて死ねばいいのか?令和に見る女性の人生の新ロールモデル

2021年11月25日

こんにちは、もとみんです。11月下旬になりすっかり冬らしくなりましたね。冬といえばカニ。そんなわけで、TVで流れるスシローの「かにづくし」のCMによだれを垂らす毎日です。

それはさておき、今回は「孤独な女性はどう生きて死ねばいいのか?令和に見る女性の人生の新ロールモデル」というテーマのエントリーです。これは、わたし自身20代後半くらいからずっと考えてきたことでした。

最近あるニュースを見て改めてこのことが頭をよぎったので、今回はそれについてちょっと語ってみようと思います。

 

 

もはや恋愛も結婚も必要ない多様化した社会

 

ここ10年ほどの世の中を振り返ると、男女ともに生き方が多様化し、趣味に没頭したりソロ活動を充実させたりといった生き方も普通になりましたよね。

ひと昔前までは、恋愛や結婚について、「なんとなく必ずしなくてなならない」という暗黙のルールがあったように思います。

もちろん、女性のなかには「結婚や出産に関してまだまだ世間の風当たりが強い…」と感じる人もいるでしょう。実際、やはりそういうステレオタイプの雰囲気は根強く残っているように思います。

とはいえ、最近では女性の社会進出も高まってマンション購入に踏み切る人もいるとのこと。そう考えると、「恋愛して結婚=女性の幸せ」ではなく、「自分のやりたいことをやる=自分の幸せ」という価値観にシフトしているのではないかと思うのです。

先日見たあるメディアの記事によると、最近では結婚も出産も望まない中高生が増えているそうです。それよりも「自由に生きたい」というのが本音らしく、なるほど!と納得すると同時にすごく現代らしいなあと思いました。

 

自由に生きるということはどういうことか?

 

そんな現代の中高生たちが希望しているという「自由な人生」とは、一体どういった人生でしょうか?

結婚も出産も望まないわけなので、おそらく趣味に没頭するとか、一つの仕事に囚われないとか、もっと大局的にいうと「稼ぐために生きるのではない人生」とか、そういったものを指すのではないかと予測します。

中高生に限らず、わたしと同年代でもこういった「自由な生き方」をチョイスしているかたがいらっしゃいますが、自分のやりたいことを思い切りやって楽しそうな姿を見ると、純粋に「良いな~楽しそう!」と思いますね♪

やっぱり好きなことを思い切り楽しんでやっている人ってエネルギーが違う。自分が楽しんでいるだけなのに、いつのまにか周囲も笑顔にしてしまうような、そういうパワーがある気がするんです。

これはいわば、「人生のゾーン状態」に入っているようなものだと思います。その「人生のゾーン状態」は、人によってどれだけ持続できるかが違うし、どれだけ効果がでるかも違う。

ただ、その「人生のゾーン状態」をうまく使えた人こそが、いわゆる「成功」と呼ばれるような人生を送れると思うのです。

 

「自由に生きる=フリーランス」ではない

 

ところで、最近ではフリーランスになる人も増えていますよね。なかには、コロナの影響でフリーランスの道を歩きだしたという人もいるでしょう。

「自由に生きる」とか「成功」といったキーワードが出てくると、なんとなくフリーランスという生き方が頭をよぎるのですが、個人的に「自由にいきる=フリーランス」ではないと思っています。

実際に自分がフリーランスとして生きてみて実感するのは、「確かに自由だけれど保証はない」ということです。ある程度稼げなければ、自由にできるお金も少なくなるので、いわゆる一般的な「自由な生活」には程遠くなります。

もちろんガッツリ稼げるようになればその限りではないので、夢があるといえば夢があるかもしれません。

けれど、たとえば日付を問わず納品しなくてはならなくなったり、会社のようにいざというとき盾になってくれる存在がいなかったりと、まさに自己責任の世界です。

自由って本当に保証がない。それであっても自由がいい!という人がフリーランスに向いているのだと思います。

個人的には、自分は心底会社勤めに向いてないとか、人間関係が苦手すぎて会社は無理ゲーだとか、いつもサボってる上司のために自分が頑張るのはあまりにも馬鹿らしいのでそんなことするくらいなら会社やめたるわボケェ!みたいな人にはフリーランスがおすすめですね!

そんなわけで、「自由に生きる」ためには最低限+αのお金が必要だし、それを実現するのは必ずしもフリーランスという生き方ではない、と思うわけです。

「自由に生きる」と「フリーランス」がイコールになるのは、求める自由がお金を必要とするものではなく精神的な自由である場合でしょう。

 

自由を求めると「孤独」になる可能性がある

 

会社勤めであろうとフリーランスであろうと、何者にも束縛されない自由を求めると孤独になる可能性が高まります。

たとえば、趣味に没頭したいから職場での仕事は最低限だけやるとしますよね。もちろん仕事後はすぐに家に帰りたいので職場では交流しません。すると、職場で孤独な状況になります。

しかしこの場合は、「職場はお金を稼ぐための仕事をするだけだから」と割り切れば、とくに煩雑な人間関係を維持する必要はないと思えるでしょう。

では、これが趣味のコミュニティだったらどうでしょうか?

趣味に没頭しているけど、趣味関連での人間関係も煩わしい…自由でいたい。こう考えた場合、自分が大切に思っている場所で孤独な状況になりますよね。

これってすごく耐えがたいことだと思うのです。普段はとくに問題ないと思っていても、ふとしたときに「ちょっと寂しいなぁ」と思うくらいには、胸がぽっかりすると思うのです。

こんなことを書くと、「共通の趣味なら、そんなことになるはずない!」と思うかたもいるかもしれません。

しかし、誰しもが誰かとそつなく仲良くなれるわけではありませんよね。ネット弁慶という言葉がありますが、その逆で、ネットのほうがうまくしゃべれないという人も存在します。

また、SNSでつながるのがデフォルトのいまの時代は、表面上うまくいっているように見えても、実際は関係が希薄という場合も多いでしょう。

そもそも友達の定義はなんなのか?

SNSで毎日「おはよう」「おやすみ」を言い合えば仲良しの友達なのか? もしくは、一回でもリアルで食事をすればそれで友達でしょうか?

 

そして、その人は老後まで一緒にいられる存在でしょうか?

 

孤独になったら、どんな老後が待っているか

 

冒頭にも書きましたが、わたしは20代後半くらいからずっと「孤独な女性はどう生きて死ねばいいのか?」ということを考えていました。それは、わたし自身がたぶん「孤独な人」に分類される人間だからです。

女性は群れをつくって生きる生物といわれています。それは太古の昔に、男性陣は狩りに出かけ、女性陣は集団で子供を守っていたことに由来するようです。

また、女性は一般的に「話をするのが好き」「話が長い」などと言われますが、それも群れを形成するうえで大切な要素といえるでしょう。うわさ話に話を咲かせてコミュニケーションをとると考えると、すごく的を得ていますよね。

しかし、書籍などでこういう「女性とはこういう生き物だ」論を目にするたびに、「あれ…なんだか自分は当てはまらない気がする」と思っていました。

それはわたし自身の個性なのか、それとも今までの人生のあいだに何がしかの理由があって一般的な在り方を諦めてしまったのか、それはもはや自分でもわかりません。とにかく、現状「自分はこれに当てはまっていない」ということだけはわかりました。

そうなると、心配になってくるのが「老後」です。

いまは良いとして、あと10年、20年、30年たったら…そのとき自分はどうなるのだろうか?

わたしの場合、もともと友達が少なかったのに加え、フリーランスになってからさらに友達が減りました。

フリーランスだと収入がまちまちになるので、それまでの会社勤めのときのように、好きなときに出かけて好きなだけお金を使う、という友達付き合いができなくなってしまったのです。

それに加えて、フリーランスでやっていくと決めたからにはバカにされたくない!というプライドみたいなものもありました。だからこそ、いろいろ勉強して、できるだけたくさん仕事を受注して、ひたすらがんばっていた時期があります。

そういうときは同じフリーランスのひとや起業家の言葉が励みとなり、逆に会社勤めの友人たちとは「なんだか話が合わない…」と思うようになりました。

こうして段々と友人たちと「ズレ」が出てきて、徐々に付き合いが減り、そもそも友達が減っていったわけです。じつに悲しい……。

一人で仕事をしているとけっこう孤独です。個人的に一人で作業するのが好きなので、それについては特につらいことはありませんでしたが、周囲にフリーランスの友人はいないし、もともとの性格上あらたな友人も気軽も作れず、ときおり「このままで大丈夫だろうか…」と不安がよぎったものです。

 

資産形成さえしておけば老後は独りでも安泰?

 

そういう不安を抱えるとき、まず頭をかすめるのが「お金」です。生きていくにはどうしたってお金が必要ですから、「まずは資産形成しなければ!」と思い、お金についてイロイロ調べました。

たとえば一人で生きていくには、どのくらいのお金が必要なのか?

年齢がアップすれば健康を害することも多くなるわけで、そういうときの臨時出費はどのくらいで計算すればいいのか?

ほんとうに、お金についてはシビアすぎて頭を悩ませたものです。しかしそのとき思ったのは、この悩みを共有できる人がいないという悲しさでした。

たとえば会社勤めをしていると、ほとんどの場合は厚生年金に加入しますよね。すると、国民年金だけ収めているひとより年金額が高くなります。これが公務員だとさらに安パイになる。

わたしの周囲は会社勤めの人が多いので、まずこの「年金がほとんどもらえないよね」という話題一つとっても意識の誤差がでてくるわけです。

そう考えたとき、100%の感情を誰かと共有するのは完全に不可能だとしても、せめて話だけでもできる人がいればいいのに…などと思えてきます。しかし、考えてもみてください。孤独だとそういう人もいないではありませんか!!

もちろん、数少ない友人に話してみるのもアリだとは思います。ただ、将来設計について話せるレベルの付き合いなのかどうかが問題ですよね。

ちなみにわたしの場合、過去にお金の話を友人にしたとき、「あなたは姉妹がいるから頼れるからいいじゃん」と一蹴されました。この時の絶望ったらなかった…!

たしかに姉妹がいますが、頼れるような状況ではありません。心情的にも無理です。だからこそその友人の反応を見たとき、ああ、わたしの感情はくみ取ってもらえないんだなぁ…と悲しくなって、それ以来、真面目な本音は口にしたくなくなりましたね、、

しかし、それにしても愕然としてしまうのは、「誰かいてくれたら」と思ってしまうその思考です。こう考えるということはつまり、孤独に対しての備えは「お金」だけでは足りないということ。「人」も必要だという証拠でしょう。

たとえば今は孤独にこつこつ生きられるとしても、10年後、20年後…と時間がたったとき、それでも誰にも何も話せないとしたら……そう思うと、誰にも頼れない、誰にも話せないという「孤独」はツライなと感じました。

じゃあ、今から息をまいて友人を増やせばいいのか?

それもアリかもしれないけど、そのために自分が今まで欲して手にいれてきたある種の自由とか求める範囲での孤独とかを捨てられるのか?

老後が寂しいからという理由で、いま現在の自由を捨てるのが良い方法なのか?

それはつまり、未来のことばかり見て、現在をないがしろにすることではないのか?

……こうしていろいろ考えると、もはや「どう生きてどう死ぬのが良いのか」が、まったくわからなくなってしまいました。

ただ、わたしの中では昔からブレない一つの考えがあるんです。それは「死ぬときに後悔したくない」ということ。死ぬとき、「ん~まあ良い人生だったわな!」と満足して死にたい。それだけはいつでもブレないんです。

それをゴールだと定めるならば、未来への不安のために、今この瞬間を犠牲にすることはできないよなぁという結論に達してしまうんですよね。

しかしこの世のほとんどのことは「継続すること」で出来上がっています。そういう社会のルールに、わたしは30代半ばになってようやく気付きました。オイオイ遅すぎだろ!ってかんじなんだけど、ほんとそのころに気づいたんです笑

だから、将来の不安のために今を犠牲にはできないけど、今からその不安を取り除くための小さなアクションをし続けなければならない。これが結論だと思いました。

 

瀬戸内寂聴さんと細木数子さんの死から学ぶこと

 

先日の11月8日、占術家として大ブームを引き起こした細木数子さんが亡くなりました。また11月9日には、天台宗の尼僧であり小説家でもある瀬戸内寂聴さんも逝去されています。

このニュースを見たとき、わたしはこう思いました。

 

これは女性の人生の新しいロールモデルだ、と。

 

わたしが20代後半のころからずっと気になっていたのは、「女性が独身のまま幸せに生きて死ぬ場合のロールモデルがあまりにも少ない」ということでした。

だからこそ今までの女性は、結婚して安定を得なければ、という思想だったのではないかと思うのです。

しかし瀬戸内寂聴さんや細木数子さんの場合、社会的な成功を収めて大きな財産を築き、独身のまま亡くなっています。

これは、かつてわたしが気になっていた「女性が独身のまま幸せに生きて死ぬ場合のロールモデル」そのものだと思いました。

つまり、今までは「女性は結婚しなければ安定しないし幸せではない」みたいな風潮があったけれど、今後はお二人のような生涯がモデルとなり、「女性は一人でも幸せに生きて死ねる」という考えが現実的に根付くと思ったのです。

もちろん、世の女性の多くが、ここまで大きな成功を収められるかといえば、そうではないと思います。お二人が幸せに過ごされただろうことの背景には、少なからず大きな収入や資産があったと思います。

だから完全にモデルにはできないかもしれないけど、それでもこういった新しいロールモデルができたことは、一つの希望なのではないかと思ったのです。

 

新ロールモデルでの「孤独」の対処法

 

お二人の生涯を新しいロールモデルと考えた場合、「孤独」への対処法もわかりやすいです。これは、実際にお二人がどういう晩年を過ごされたかに現れています。

瀬戸内寂聴さんは若い女性を秘書とし、細木数子さんは養子縁組をして娘をもちました。つまり独身であっても、「誰かと家族的なつながりを得ることで孤独に対処できる」ということですよね。

これは先述した友達という関係とは違い、もう少し濃い繋がりです。もともとは血の繋がりのない他人だけれど、友達のように「適度な距離」を保つ必要はありません。

家族っていろいろ問題になりやすいし、個人的には実にやっかいなシロモノだと思うんです。けれど、友達という適度な距離感を保つ必要がある関係性を築くのが苦手なひとは、おそらく家族的なつながりを作るほうが早いと思うのです。

そういう意味では、コミュニケーション能力が高くて誰とでも友達になれる人は、結婚して家族をつくらなくても、もしくは疑似的に家族関係を結ばなくても、友達に囲まれていれば晩年まで充実した日々を送れると思うんですよね。

しかし友達を作るのが難しいひとは、この新しいロールモデルが参考になると思うんです。もっと濃い距離感で、家族的な存在をつくる、ということ。

以前、下重暁子さんの「家族という病」という本を読んだのですが、たしかその本だったか、独身女性が何人かで一緒に暮らすという生活のしかたが提案されていたんですよね。

 

 

これってシェアハウスに似ていますが、たしかその本で書いてあったのは、いわゆる晩年を一緒に暮らすというニュアンスだったと思うんです。

これはある意味、友達でもあり家族でもある関係性といえますよね。これも一つ、新しいロールモデルかもなぁと思いました。

 

死ぬときは誰しも「独り」という事実

 

令和のいま、古い価値観での生き方と、新しい価値観での生き方が混在しています。だからこそネット上で意見が対立することも多いと思うのですが、それは今が転換点にあたるからでしょう。

先ほど書いたような新しいロールモデルの人生を送る女性は、今後増えてくるのではないかと思います。恋愛、結婚、出産というルールに縛られず、自由に生き、友達もしくは家族的なつながりをだれかともって幸せな最期を迎える。

もちろん、恋愛、結婚、出産という生き方が幸せだと思う!という人もいるので、その場合は幸せな結婚をして素敵な人生を歩んでいければ良いと思います。

ただ、今まで「女性の幸せは結婚して子供をもつこと」というステレオタイプがあまりにも根強かったので、選択肢が増えれば良いなあと思うんですよね。そしてその選択肢のエビデンスとして、新しいロールモデルができた!ということが嬉しかったのです。

わたし自身は最近家族をもちましたが、じゃあそれで孤独から解放されるかといえばそうでもありません。

結局、誰も頼れない、誰にも話せない、といったような孤独感は、自分の心の問題が大きなウェイトを占めているので、家族ができたことが孤独の解放ではないのです。

ただ、物理的な孤独から解放されると、ある程度落ち着くというのはあるかもしれません。そういう意味では、新ロールモデルの血のつながらない家族も同じ効果があるといえるでしょう。

また、たとえ友達や家族に囲まれて孤独から解放されたとしても、結局死ぬときは「独り」です。よほどの事情がないかぎり誰かと一緒に死ぬわけではないし、自分が先に死んだり、逆に自分一人が残されるかもしれない。

そういう意味では、いずれ「孤独」とは再開することになるでしょう。

また、家族や友達がそのときまでずっと一緒にいてくれるとも限りませんから、いつだって「孤独」と向き合う覚悟は必要です。この覚悟も、今から少しずつ持ち続けなければならないものなのかもしれません。

 

死というゴール設定に目を向けて

 

そんなわけで、今回は少し重めの話題になってしまいました。でも本当に、瀬戸内寂聴さんと細木数子さんの訃報を聞いたとき、あっ!と思ったんですよね。これが新しい時代なんだ、っていう感覚というか。

「生きる」ということを考えると、どうしても「死ぬこと」がセットで現れます。死は怖いけれど、そのゴールがあるからこそ生きることが尊くなる。

いまこの記事を書きながら、改めて、わたし自身が設けているゴールについて考えました。「死ぬときに後悔しない」というゴールを迎えるために、孤独のなかでどうやって生きていくか。

みなさんは、どのようなゴール設定をしていますか?

令和のいま、生き方が多様化するなか、どんな生き方を選択しますか?

ではでは、また!

 

-ちょっと語ってみた