こんにちは、もとみんです。
さきほどyahoo!ニュースで「1万時間の法則は神話だった」という記事を見て、これは!と思って元ネタを見たらLifehackerの記事でしたね。10月下旬の記事でした。
1万時間の法則は神話だった
1万時間の法則は神話です。この神話の蔓延に最も腹を立てているのは、この神話が生まれるもととなる研究を行った人物です。名はEricsson。フロリダを拠点とする研究者です。
これがその記事ですが、本当にやるべきなのは「スマートな練習」だと書かれています。
これはどういうことかと考えたところ、一読してよく考えてみた結果、「つまりRIZAPということか」という結論に達しました。
結果にコミットするRIZAP方式
とくにRIZAPに限定しなくてもよいのだけど、パーソナルジムっていわゆる「パーソナルトレーナー」がいますよね。
筋トレそのものは自分でもできるけど、その道に詳しい人に指示してもらいながらやると間違った動きをしないし、無駄な動きがなくなると思うんです。プロのトレーナーだったら効率よく結果を出す方法を知ってると思いますし!
ところがここで間違った方法を採用していると、いつまでたっても結果がでないし、むしろ具合が悪くなったりする。
これはダイエットとかでも同じだと思うんですよ。よくテレビの特番で、ダイエットBEFORE→AFTERとかやっているけれど、テレビに出て集中的にダイエットする人って医師とかがアドバイスしている。テレビでも紹介されるけれど、それは一部だけだし、その一部だけ真似してもなかなか同じようにはうまくいかないと思うんです。
ダイエットも間違ってやるとぜんぜん痩せないしむしろ太るという悲しい結果になったりします。ひどいときには摂食障害になる場合もある。これが一番怖いですね!
摂食障害って難病指定されているそうで、心の病でもあるけど死に直結する恐ろしさがあります。
そんなことを考えていくと、なにかを習得するのに必要なのは10000時間じゃなく、「間違いがない(=だからこそ結果的に効率が良い)学び方」なのかな、と思った次第です。
「努力は不要である」論と一致する点
そんなことを考えていたら、ふと脳科学者・中野信子さんの「努力不要論」を思い出しました。
この本、「がんばってるのに報われない」という一文が心に深く刺さる人、世の中にけっこういらっしゃるのではないかと思います。
なんせ努力そのものって数値で測れない!
じぶんでは「こんなに頑張ってるのに」という絶対的な感覚でも、第三者からしたら「え、でもお前の努力って他の奴に比べたら大したことなくね?」ってな具合に相対的に考えられちゃうこともありえる。これってツライものです。
それはともかく、この本はセンセーショナルなタイトルだから「えっ。努力は不要なの!?」と思ってしまうけれど、中野さんによるとこれは、「無駄な努力はやめようよ」ということなのだそうです。
といっても、「お前なんか何やってもムダだぜ!」とかそういう意味ではなく、「無駄な方向に努力することはやめましょう」という意味です。
あまり語ると別のテーマの話になってしまうので割愛しますが、これもある意味いままでの10000時間の法則のはなしと同じで、「ズレたことをやっていると長年習得できない=報われない」ということなのでは、と思います。
独学は絶望的なのか?
では、独学ってどうなのよ?というハナシです。
たぶん何をするにも誰かに習ったほうが早いし、正確だし、無駄がない。お金を払ってでも学校に通ってノウハウを聞いたほうが良いはずです。
けれどこの世にはなぜだが独学でうまくいっている人がいる。この層の人達こそまさにミステリーですよね(笑)
このミステリーな人達っていったいなんなんだろう?と考えたんですが…やっぱりこれは「コピー能力にたけてる人」なのかな?と思ったりします。
ほら、よく少年漫画とかゲームに出てくる「相手の能力をコピーして使えるキャラ」っているじゃないですか? あいつらですよ!
あの手のキャラってもともと潜在能力が高いですよね。でも別に、自分オリジナルのなにかがあるって感じじゃないんですよ。で、どんどん誰かの能力をコピーしまくって、それがミックスされていく。すると最終的にそれがそのキャラのオリジナル技みたいになってたりするんです。
土台は誰か別の人の「なにか」なんですよ。けれど最終的には自分のものになってる。え~ずるい!って気もするけど、そこまでトレースできるっていうのは、それを吸収して再現できるほどそもそも能力値が高いからですよね。
そう考えるとですね、独学で上手くいっちゃう人っていうのはそもそもの能力値が高いんじゃないかという気がします。でもこれも、「誰のどんな能力をコピーするか」によるわけですよね。だって攻撃力の低い敵の技をコピーしたって攻撃力低い技しか出せないし!
そうなると、「能力値の高い人の技をコピーする、トレースする、盗む」っていうのがやはり基本スタイルなんだなって思ったりするんです。
こういうことって、じつはいろんな本で言及されてますよね。
ビジネス書もそうだし、怪しげな成功哲学の本をもそうだし、スピリチュアルの本もそうだし、お金持ちになる方法みたいなお金系の本もそう。だいたい同じこと書いてある。
とにかく、「なりたい人の真似をしろ」って書いてある。
ビジネス書などでは「メンター」という言葉が良く出てくるけど、あれなんかまさにそうですよね。この場合は、技術を真似るのではなく考え方を真似る。いわば「人生の師」みたいなものです。
行動力のある人は実際に相手に会って話を聞いたり質問したりして学ぶようですが、このメンターというものは歴史上の人物などでも良いそうです。
例えば「織田信長かっけー! マジあういう人になりてー!」なら織田信長の考え方に則って行動する、ということになります。まあ信長はちょっと過激すぎかもしれませんが…(カリスマ性あるけど・笑)
一方通行の場合はいわゆる「私淑」になりますが、こうして誰かの考えに則って行動するってある意味では無謀ですよね。だって自分より誰かの考え方を尊重するわけですから!
しかしよくよく考えてみると、ある程度無謀な人のほうが世間では有名になってるような気が…??
たぶん、無謀ってことは純粋ってことなんだろうなあと思います。子供が何にでも純粋に興味を持ってアチコチむかっていくのと似ていると思う。「無謀=純粋=恐れがない」というような。
物事を素直に吸収することがコピー能力の質に関係するならば、潜在能力の高さは性格によって左右されると言ってもいいのではないかという気がします。
独学でうまくいくひとは、純粋で物事に熱狂できるタイプのひとなのかもしれませんね!
経験上、確かに誰かを真似るとうまくいく
今ふと思い出したんですが、そういえばわたし自身も「真似をしたら格段にうまくいった」という経験がありました。
結構前のはなしで、同人界でのことなのですが、あるときもう何ヶ月もほぼ本が売れない時期があったのです。マンネリ防止のため新しい商品を作りたいけれど、売れないから在庫は増えていくし、もうこれ以上無理だな…と思ったときがあったんですね。そう…あれは秋の出来事でした(笑)
そんなときに、たまたまものすごい売れてる作家さんの本を読んだらめちゃくちゃ感銘を受けてしまったんです。
もう~すっごい美しい画面、完璧なデッサン、テンポのよいコマ割り、爽快感のあるストーリー…うわ~こりゃ人気なの当然だなって思いました。実際プロの方なので当然といえば当然なのかもしれませんが、なんかとにかく衝撃を受けてしまって!
で、そのときすごく「こういう風に描けるようになりたい!」って思ったんです。
だからその作家さんの絵のバランスがどうなっているのか研究して、コミスタの主線のサイズも自分の絵と比べてみたり、その作家さんがよく使っている雰囲気トーンも探し出しました。もうお前ストーカーかよ!っていう(笑)
ストーリーはさすがに要となるものだし、自分がかきたいものが常にあるので真似はしませんが、画面の雰囲気とかはめちゃくちゃ参考にして、「もう今回売れなかったら同人ストップしよう」と思ってある本を出したわけです。
そしたらその本がもう……突然売れたんですよ!!
え~!?って思いましたよね、自分でも(笑)
だってその作家さんを参考にはしたけど、別に絵とか似てはいないんですよ。でも、それまでとぜんぜん結果が違ったんです。こんなに違うものなのか!って驚きましたね。
幻冬舎の見城徹社長が「売れてるものは正しい」といっていたけど、そういうものなのかもなあなんてしみじみ思った時期でしたね。
10000時間どころかそもそも20時間でなんとかなる論
とここで、そもそも20時間でOK論というのがあります。熟練レベルじゃなく「まあまあで良い」なら、なんとたったの20時間! なんとお買い得!!!
20時間といったら、1日1時間やって1ヶ月もかからんですね。1ヶ月でそこそこのレベルになれるならそっちの方がいいかも?という気がしないでもないです。
というか、そもそも問題は「それを習得して何がしたいのか?」ですよね。
ホリエモンの著書に「金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?」という本がありますが、それ風にいえば「技術を習得する方法はあるけれど、習得して君はどうするの?」ということです。
クリエイティブなことについては、特にこの問題に直面する機会が多いのではないかと思います。
周囲の共感がほしいのか、それともお金が欲しいのか、もしくはただ訴えたいだけなのか?
このあたりの本当の目的を自分自身で見誤ってしまうと、かなり遠回りになってしまうし、別の方向に進まざるを得なくなる。わたしは今でさえたまにこの問題と向き合っているので、余計に「う~ん…」となりますね。
ちなみに仕事もこれと一緒だと思います。
10000時間の法則を信じた場合、1日8時間×月23日働くとして、5年も経ったら立派に「プロの技術を習得している」ことになるわけだから、この世のほとんどのひとは何かしらのプロです。
そこで問題になるのは、「君は今プロなわけだけど、人生どうよ? 最高? 満足? 幸せ?」ってことだろうな、と。
それにしても、20時間でイケるんだったらいろいろやってみたくもなりますね! 1ヶ月でサクッと5kg痩せればいいのに(笑)
ではでは、また!