こんにちは、もとみんです。
先日BOOKOFFのセールで爆買いしたのですが、そのなかで特に考えさせられた本が押井守監督の「凡人として生きるということ」です。
本を買うときは最初に目次をみて、見出しが面白いか面白くないかで購入するか否かを判断しているのですが、この本の見出しにはこんな一文があったんです。
「若さに価値などない」
もうこれを見た瞬間、「えー!?そんなことないでしょ!なぜに!?」って思ってしまって、一瞬にして購入決定しましたね(笑)
そんなわけで、今回は「凡人として生きるということ」の感想を交えながら、凡人が「凡人が成功するための方法」について書いていこうと思います。
凡人として生きるということ/押井守
そもそも押井守監督はどんな人?
押井さんはアニメーションの監督で、代表作には「うる星やつら」「機動警察パトレイバー」「HOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「スカイ・クロラ」などがあります。有名な作品が多いですね!
個人的には「スカイ・クロラ」の世界観が好きです。
今まで映画監督の本は読んだことがなかったのですが、「凡人として生きるということ」を読んだら、やはり表現者の感性だなあという印象を抱きました。
しかし、抽象的な感覚ではなくどちらかといえば現実的な感じがします。学生運動をされていた履歴もあるそうなので、そういうところも関係しているのかもしれません。
凡人として生きることは不幸なのか?
さっそく本題ですが、この本のタイトル「凡人として生きるということ」は、もうその一言だけで結構グサッとくるものがありますよね。
じゃあなぜグサッとくるかというと、こういう固定概念があるからなのだと思います。
成功するのは才能がある天才だけ。
凡人には何もない。
成功しないので凡人は不幸だ。
こういった思い込みはけっこう根深いものがあります。たとえ自覚的に自分がそう思っていなくても、無意識には刷り込まれている可能性がある。
それは、メディアで成功者が取りあげられたり、ドラマ・映画・漫画などでハイソな人々の生活が描かれたりするからです。
これらはサブリミナル効果のように、いつのまにか視聴者の心に浸透して、いつのまにか「それが正しい」ということになってしまうわけですね。
では、先ほどの言葉を正しく分解してみるとどうなるでしょうか?
事実だけを羅列するとこうなります。
才能がある天才は成功する可能性が高い。
凡人の能力は天才に比べると目立たない。
成功=幸福ではない。
「成功」と「幸福」はとかくイコールの関係で語られがちですが、実のところこの二つって全然関係ないんですよね。
だから凡人=不幸なわけではないのだけど、「どうせ天才じゃなくて凡人だし…」という劣等感を抱くことで不幸への道がスタートするわけです。これがまたしんどい…!(経験者は語る)
でもですね、誰だって一度はこう考えると思うんです。「もし、もっと〇〇だったら…」と。
これはつまり「何者かになりたい」という欲求ですよね。
12年前、何者かになりたがっていた凡人同士が語ったこと
今年の3月、ある男友達が結婚したことを知りました。
12年ほど前、彼に「恋愛相談をしたい」と言われて語ったことがあったのですが、その時の会話でとても印象的なものがあります。それは、わたしのかつての親友Aが、絵の世界で成功を収めていることを語ったときのことでした。
かつてAと切磋琢磨していたわたしにとって、Aの成功はとても心苦しいものがありました。まるで夏目漱石の「こころ」にでてくるK状態(笑)
Aは名だたる大企業からオファーを受けて仕事をしており、ファンのコミュニティまで存在している。まさに成功者。
一方自分は?…なにもない。それどころか絵も描かなくなっていました。
そんな苦しい昔話をしていたとき、彼がこう言ったのです。
「俺は成功っていう考え方が嫌いなんだよね」
そして、わたしたちの共通の友人Yさんのことを話題にだし、こう付け加えました。
「俺はYさんみたいな生き方を尊敬する」
Yさんはシステムエンジニアで、可愛らしい奥さんと子供と共に暖かい家庭を築いている男性です。
仲間内の飲み会にはほぼ顔を出してくれるし、真面目な話もチャラい話もできて、やさしく仲間想い。奥さんとも仲が良く子供のこともしっかり考えている、浮気の心配なんてありえない人。女性から見たら理想的な男性でしょう。
彼が言う「Yさんみたいな生き方」とは、「幸せな家庭を築き、男としても人間としても着実なライフステージを登っていく」ということだったのだと思います。
確かにYさんの人生はとても素敵ですよね!
これは、かつては誰もが普通に手にいれられると思われていたものだけれど、最近はそうでもなくなりました。いわゆる「普通の幸せ」がとても難しい。だからこれは素晴らしい夢に相当すると思います。
このとき彼が口にした「成功って考え方が嫌い」という言葉はとても響きました。
わたしの考え方を否定された気がしたからです。
だけど、考えれば考えるほど「なんだか違う気がする…」と思いました。
そもそも「成功」の定義は何なのか?
かつての親友Aは大企業と仕事をしていたので、これはどう考えても社会的に成功といえるでしょう。
しかしわたしにとってなぜその親友が「成功者」だと思ったかというと、大企業云々とか世間的な認知度が高いとかそういう問題ではなかったんです。体裁とか世間体の問題じゃない。
わたしの中の成功とは、「自分の好きなことをして生きている」ということだったのです。
それがわたしにとって理想的な生き方だったので、それを「成功」と呼んだのです。
ぶっちゃけこの部分については本当に賛否両論あると思うんですよね。
じゃあ嫌いな仕事をして生きてたら悪いのか!?といったらそういうわけではありません。
最近フリーランスが増えているのでそういう論議もあるようですが、個人的には稼いだお金でたっぷり趣味を楽しんでいるのだって一つの成功だと思いますし、問題は「どういう生き方をしたいかという理想に対してどのくらい現実が追い付いているのか」だと思うんです。
とにもかくにも、彼も結婚を果たしました。
かつて語っていた「理想の生き方」を手にしたのです。もちろん祝福しました♪
しかしわたしの中にずっと燻ぶっていることがあって、それは、彼がかつてカメラの専門学校に通っていた事実なのです。
本当は、その頃の彼には違う理想があったんじゃないのかな……そう思ってしまうんですよね。でも彼は、恐らく、永遠にその話はしないでしょう。
凡人の対義語は天才かもしれないが、「成功者=天才」とは限らない
長すぎる世間話をしてしまいましたが、ここでちょっと考えたいのは、ただの凡人でしかない自分は「成功」を夢みちゃいけないのか?ってことです。
ここでいう成功の定義は、前述した「こういう生き方をしたいという理想に対して現実が追い付くこと」です。規模とか世間的な認知度は関係ないです。
もちろん、ビル・ゲイツ並みの大富豪になる!というのが理想ならばかなり大規模ですし認知度も必要だと思いますが…(笑)
このことについて、わたしはよくミュージシャンで考えるんですよね。
バンドなどで華々しく活動している人もいますが、スタジオ録音や誰かのライブ演奏などを担当するミュージシャンもいます。
同じ「楽器を演奏する人になりたい!」と思った場合でもこれではだいぶ違ってきますよね。
一般的な成功者のイメージって多分前者です。知名度があってメディアに出ててその人がステージに上がると「きゃあああ」って声が上がって、まさに人気商売といったかんじ。
一方、後者は名前が知れ渡らないことも多いかも知れません。この場合は自分をブランディングしているわけじゃないしどっちかというと技術屋っぽいから、いわゆる「成功」というイメージはないですよね。
で、こういうときちょっと思うんですが、一気に仕事がなくなった人気者と、知名度は元々ないけど継続して仕事がある人とでは、どっちが「成功」と呼べるんでしょうか?
豪邸に住んでるけど多忙すぎて夫が帰ってこず毎日独りきりで寂しい奥さんと、四畳一間に住んでてお金もないけど毎日笑い合ってる夫婦、どっちが「成功」なのか?
成功って言葉には、知名度・名声・富・社会的ステータスなどのイメージがありますが、前述した夫婦の例でいえば「幸福の尺度」という側面もあるんじゃないかと思います。
なんていうんでしょう、「自分の人生いいかんじ!」「うまくいってる!」みたいな感じでしょうか?
失敗したことやイヤなことも全部ひっくるめて、自分に対してそう感じられる状態こそが成功だと思うんです。
「成功」をそのように考えると、選ばれし天才だけではなく、凡人だって充分「成功」が手に入るのではないかと思うんですよね。
失敗した過去を「なかったこと」にはできない
とはいえ、やっぱり社会的に知名度があるような成功をしたい!という人もいると思います。その場合とにかく行動して良い結果を出す必要がありますよね。
しかし失敗する恐れもあります。この失敗の恐怖はかなり強烈だし、周囲の目を気にする恥じらいの感情も結構キツイですし、なかなか動けないという場合もあると思います。
押井監督は「凡人として生きるということ」の中で、「最近はみんな極端に失敗を恐れている」と書いています。さらにこんなことも言っています。
実は失敗するかどうかの分かれ目は、極論すればその人の能力の問題ではない、と僕は思っている。
では、何が成功と失敗を分けているのかというと、その大方が、世間の都合によるものだと思うのだ。
押井監督は最初の作品が原作つきの作品だったため、原作ファンに配慮して作品作りをしたそうです。そのため評判は良かったけれど、それは結果的に「自分の作品ではない」と感じたそう。
そのため次作で自分が作りたいように作り、それも評判が良かったため、「やっぱり自分がつくりたいように作ればいいんだ」と気を強くして作品作りを続けたところ、後に大失敗したと語っています。
自分が納得できないような映画は絶対作りたくない。でも、他人に評価されない映画を作っていては、それはただのマスターベーションだ。
この一文は、創作をしている人なら一度はぶち当たる壁ではないかと思います。
本当に表現したいのはこれじゃない…でも世間で評価を得るのはこういうものだ…だからそういうものを表現する…あれ、でも自分の目的ってただ単に評価を得ることだったっけ?…みたいな。
では押井監督はこのジレンマにどう対処したかというと……
「真ん中の道を歩くことにした」そうです。
自分の意見に偏り過ぎず、相手の意見に迎合しすぎない。これを実現するために監督は「誰かと仕事をする」のだそう。誰かの意見を聞き、客観性を持つことでバランスをとる、ということですね。
監督曰く、100%絶対に失敗しないということはありえないけれど、なるべく失敗しないようにすることはできるとのこと。
こう言うとみもふたもないけど、とにかくやるしかないってことですね!(笑)
ただ、そのとき第三者の視点を忘れないようにすればリスクが低くなるよ、ということのようです。
凡人流の成功術は「オタク」
この本の中で監督は、「凡人は情熱を持ち続けることしか、この世を渡っていく術がない」と書いています。
自分だけの価値観や自分だけの美学を磨いていくと、だんだんと理解者があらわれ、やがて一つの価値が生み出される、というんです。
これは一言でいうと「オタク」ですね!
オタクというとアニメ・ゲーム・漫画あたりがすぐ連想されそうですが、世の中には結構いろんなオタクがいます。
一般的にオタク認定されていなくても、「他人はどうかしらんが自分はこれが好きだああああ!!!」というのがあればもう立派なオタクです!
わたしは創作オタクなのでいつ何時でも話のネタを考えているし、漫画や小説も書いているけど、どうもこの感覚はあんまり理解してもらえません。
「それはどこかに投稿するの?」「いつ描き終わるの?」と聞かれるのですが、はっきりいってネバーエンディングだし、その質問ってアニメ好きの人に「それを見てどうするの?意味があるの?いつアニメ見るのから卒業するの?」と聞いてるのと一緒なんですよね。
好きだし楽しいし幸せだから創作してるんだ!極論それなんだ!と答えますが、それでも理解してもらえないのでなんかもう諦めました(笑)
こういった他人には理解されないけど延々もくもく情熱を傾けられるようなものを持っている人は総じて「オタク」ですが、これが凡人流の戦い方として有効なのだそうです。
以前読んだ見城徹さん(幻冬舎の社長)と藤田晋さん(サイバーエージェントの社長)の本にもそんなことが書いてあったような気がします。いや、もしかしたら見城さんの本だったかもしれません。
人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない/ 見城 徹,藤田 晋
1人であっても熱狂しているとそれが伝播してブームになったりする、といった内容だった気がしますが、確かに「最初に盛り上がってる誰か」がいないと始まらないですよね。
ビジネスだとそれがどこかの企業の開発部ということになりますが、そういうのじゃなく、たった一人が「これ最高!!!」って叫んでただけだったのにいつの間にか周囲も巻きこんじゃって…っていう流れが実現したりするのが面白い!
「一人で盛り上がる」って簡単そうに見えて意外と難しいなと思うんですよね。
誰からも反応がないとヤル気をなくしたり、「あの人一人で盛り上がってるウケるwww」とか言われたらそりゃもうメンタルぐっさりきちゃいますし、とにかく鋼メンタルじゃないとできないことです!
最近は自分の好きなものさえ、「大多数の支持を得ているかどうか」をネットで調べてから本格的に好きになるかどうかを決めている節があります。というか実際その片鱗を見てしまった…!
自分の好きなものすら他人の評価で決めるって、良く考えたらそら恐ろしいことですよね。だけどそのくらい世間の目が大きいのが現代のネット社会なのだろうなあと思いました。
そのくらいオンリーワン熱狂はレベルが高いということです。
あと、以前この記事↓でも書いた橘玲さんの本にもちょっと似たニュアンスのことが書かれていましたね。
二度目の紹介で恐縮ですがこの本です。
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法/橘玲
この本は遺伝による格差のことに触れていて、「生まれながらに格差があるこの社会の中でどうやって生きて行くか?」という内容が書かれています。
この本の場合は熱狂するとか情熱を持てとかそういった感情的なことは書かれていなくて、むしろすごく合理的です。押井監督の本とは正反対なかんじですね!
ただ、結果的には押井監督の本と同じところに辿り着くというか、構造としては一緒なんじゃないかな?と思います。
成功しようとしても既に格差がある。となると、自分よりレベルの高い人がいるフィールドでは成功できません。だから範囲を絞ります。これを繰り返していくと、すごくすごく狭い範囲に絞られますよね。
とてつもなくざっくり言うと、「そういうニッチなところで成功を目指すしかない!」ということが述べられています。
これはある意味、もともとニッチなところに興味が向いているオタクの感覚と一緒だと思うんですよね。
ということは、成功への近道はオタクになること、とも言い換えられるのではないか?と考えた次第です。
尤も、周囲を巻き込めるか否かが成功の鍵となりそうですから、そんなニッチなものにどれだけ周囲が食いついてくれるかがポイントになりそうです。もしかしたらこっちの方が難儀かも…!?
とはいえ、「熱狂していれば誰かが気付く」というのは本当にあることで、自分もそのような経験がありました。だからこそこの感覚ってバカにできないなと思います。オタク万歳!!!
余談:「若さに価値などない」の意味
「凡人には凡人なりの戦い方がある、自分は天才じゃないけど自分なりの成功を目指したい!」という方は、ぜひオタクコースをチャレンジしてほしいと思います。
ちなみに余談ですが、冒頭の「若さに価値などない」という言葉には監督なりの根拠があります。本来の意味は、「若者はまだ発展途上だからまだ価値がない」ということだそうです。
今までの時代の大人たちは、昔いろんな挑戦をして失敗して挫折してさまざまな経験をして価値を獲得してきた。しかし現代は失敗を恐れて挑戦しない若者が増えていて、そのままだと中身が子供のままの大人になる…と監督は警鐘をならしています。
この解説を読んで、なるほど~!と思ったのですが、よくよく考えたら「チャレンジして色々な経験をしている若者はすでに価値がある」ということになりますよね?
その逆で、生きている期間が長くて経験が多いはずの大人なのに何もしてこなかったら…!?なんという痛恨の一撃!!!考えるだけで胃痛が…(笑)
ではでは、また!