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徳川家康の天下統一は決まっていた!?松平親氏から始まった「松平郷」への聖地巡礼が楽しかった件

2018年10月4日

驚きの家系図!松平家の始祖はお坊さん

松平氏の始祖・松平太郎左衛門親氏の像

 

「松平郷」の見所などを写真で辿ってきましたが、先述したとおり松平家の遠祖は在原氏です。

松平郷を開拓したのは在原信盛という人で、その息子の在原信重がさらなる開拓を進めて道などを整備したところ、ある日その地に「徳阿弥(とくあみ)」という全国行脚していた時宗の僧が訪れたのだそう。

徳阿弥は信重の末娘の水姫に婿入りし、松平太郎左衛門親氏と名乗りました。これが松平氏のはじまりです。

 

 

松平氏の家系図はこんな感じです。

お坊さんの地位は時代によってすごく高いですよね。しかし彼は全国行脚していたということから、公家の娘と結婚するというのはある意味、逆玉の輿なのでは!?なんて思ってしまいました。

ちなみに↑の写真は親氏の銅像なのですが…一目見たとき、もう「織田信長かよ!?」ってツッコミを入れましたね!

なんか雰囲気似てません?ワイルドじゃないですか?僧なの?本当に僧なの?シックスパックですぜ?

 

でも戦国時代の僧って、一休さんのモデルとなった一休宗純や、信長を苦しめた本願寺顕如など、「この人ほんとに御坊さんなの…?」と疑問になるほど破天荒な人が多いですよね。

もしかしてこの当時の僧侶って、いま思っているものとかなりかけ離れているのかもしれない。当時の僧は権力を持っていたというのもあるけど、良く考えると武家や公家から僧になったりしてましたもんね。

もはや現代感覚で考えると「??」なことが多いのが歴史のおもろいところですね。

 

松平太郎左衛門親氏の義父「在原信重」ってどんな人?

松平氏始祖はお坊さんで婿養子、という部分だけでかなり興味をそそられましたが、じゃあ最初に松平郷を開拓した在原親子はどんな人なんだろうと疑問になりました。

wikipediaで調べると父親のページはなく、息子のページだけがありました。

 

出自は確定できていない。『松平村誌』の「松平氏由緒書」では賀茂氏や鈴木氏の一族といわれる。

『古代氏族系譜集成』は父・信盛を荒尾持頼と同一人物とし、また荒尾氏は在原氏の後裔のため、信重は在原氏であったとする。また「陰陽寮下司系図―加茂系図」(鈴木真年『百家系図稿』所載)では、信盛の父親は賀茂在信だとする。
(中略)
信重の家は弓馬や和歌に秀でた三河国中に知られていた有徳人・富貴の者であったとされ、松平親氏とその配下・石川孫三郎ら一行が信濃国から碧海郡酒井村あるいは幡豆郡坂井郷を経て松平郷へ到来した。

信重は親氏の和歌に通じた教養と武勇を評価して、その次女・水女の婿養子として松平郷を継承させた。

出典:wikipedia「松平信重」 

 

これを見ると、加茂氏説もあるようですね。

となると必ずしも在原氏とはいえないのかな?と思いましたが、松平郷がそのようにアナウンスしているのでここでは在原氏の系統ということで話を進めていきたいと思います。

それにしても在原親子はかなりデキるお金持ちだったのですね! やはり血は怖い…!

 

在原氏はどんな人達?

そこで今度は「在原氏」ってどんな人達なの?というのが疑問になってきます。

そんなわけで在原氏を調べてみると、

 

平城天皇皇子の阿保親王・高岳親王が臣籍降下したことに興る皇別氏族(賜姓皇族参照)。

「在原」とは、『詩経』小雅「常棣」の中にある“脊令在原 兄弟急難(脊令(セキレイ)、原にありて、兄弟(けいてい)難を急にす[3])”の句から取ったと言われている(仁平道明説)。一般に知られるのは阿保親王流で、賜姓に与った行平・業平兄弟の子孫が栄えた。

出典:wikipedia「在原氏」

 

平城天皇の息子の阿保親王・高岳親王が、皇族なんだけどその身分を失って、臣籍になったことで「在原氏」が始まったということですね。

これは「お前って仕事できるよな!というわけで支社に転勤な!」と、立場はそれなりに良い感じなんだけどうまく言いくるめられて左遷させられた感がある内容ですね。

 

なぜこんなことが起こったのか?

 
原因は平城上皇と嵯峨天皇が対立した「薬子の変(くすこのへん)」(もしくは「平城太上天皇の変」)で、一言でいうと天皇の後継者争いに負けてしまったから、ということになります。

 

とにもかくにも「在原氏」はそこから発生したわけだけど、この阿保親王の息子にイケメン在原業平がいます。

業平くんは第5王子でしたが、もともとは天皇家の系譜だったわけだからスゴイですよね。この時点で、松平氏は在原業平やその祖父・平城天皇につながっていると考えることができます。

 

そこで今度は平城天皇を遡っていきます。

平城天皇のお父さんは桓武天皇です。桓武天皇のお父さんは光仁天皇です。光仁天皇のお父さんは志貴皇子という人で、第七皇子だけど皇位とは無縁で文化人として人生を謳歌していたようです。で、志貴皇子のお父さんは…天智天皇!!!

天智天皇といえば「大化の改新」で一発キメたことで有名ですよね。一般的には中大兄皇子という呼び方が有名かもしれません。

 

もうね…

 

徳川家康を遡ったら中大兄皇子に辿り着いたっていうこの興奮!!!!

 

テンションマックス!!!!!

 

わたしは「天下茶屋」でお蕎麦と天下もちが出来上がる間これを検索していたんですが、天智天皇に辿り着いた時点で一人で勝手に興奮しました。オタクだなってつくづく思いましたw

個人的に中大兄皇子が好きなので尚更興奮でしたね!

 

しかしここでしつこく遡ると、、、

 

天智天皇のお父さんは舒明天皇、その父親は押坂彦人大兄皇子、その父親は敏達天皇、その父親は欽明天皇、その父親は継体天皇、その父親は彦主人王、その父親は乎非王、その父親は意富富杼王、その父親は稚野毛二派皇子、その父親は応神天皇、その父親は仲哀天皇、その父親は日本武尊(やまとたけるのみこと)、その父親は景行天皇、その父親は垂仁天皇、その父親は崇神天皇、その父親は開化天皇………

この先面倒くさいので父親名を列記します。

 

孝元天皇、孝霊天皇、孝安天皇、孝昭天皇、懿徳天皇、安寧天皇、綏靖天皇、神武天皇、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)………

この辺からもはや覚えることすら難しい名前になってきましたが……

 

その父親は、火折尊(ホオリノミコト)で、日本神話に登場する神です。

さらにその父親は、ニニギという人物で、「古事記」や「日本書紀」に登場しています。

 

つまり結論としては、

 

徳川家康の祖先は、神!!!!!

 

ということがわかりました。

 

徳川家康の天下統一は偶然じゃない?

ここまで遡った時点で、もしや家康が天下統一できたのって必然なのでは…みたいな気分になりました。

もちろんこれは俗にいうトンデモ理論なんだけど、個人的にはワクワクできて楽しかったです!

実は今まで徳川家康ってあまり好きではなかったんですよね。でも今回名古屋に行く機会があったりだとか、たまたま仕事の関係で調べることになったりだとか、そういうのが重なって考えを新たにしました。

 

家康は最終的に天下を取ったので、なんだか漁夫の利感があるなぁと思っていました。

しかしエピソードを1つ1つ探っていくと、家康は今まで自分の中になかったものでも「これ良いな!」と思ったものなら採用して味方に引き入れるなどのことをしています。もし家康が自分の意見に固執している人物だったらこんなことはせず味方も少なかったでしょう。

 

織田信長は周囲に裏切られることが多かったですよね。カリスマ性が高いのに最終的にそうなってしまったのは、家臣から見て「嬉しいな!」って思う部分が少なかったからなのかもしれません。

一方の家康は、例えば伊賀の忍者を雇うなどしました。「君達はすごいから力を貸してよ!」といわれれば、嫌な気持ちはしないでしょう。

 

そう考えると、信長はカリスマ性と新奇性があったけど、家康は根回しが上手いだけではなく現状で良いと思われるものを取り入れる天才だったのかもしれません。

現代風に考えると、起業するには信長のような革新的なやり方が有効だけど、会社を長く維持するためには家康のような保守的な手法が有効だということかな…なんて思いました。

 

家康が生まれた城「岡崎城」

岡崎城

 

松平郷に行ったあとは、足を延ばして「岡崎城」にも行きました。夕方に到着したので時間が足りず、「三河武士のやかた家康館」は見ることができなかったのですが、城内の展示物など興味深くて楽しかったです。

展示は基本的に撮影NGなのですが、日本刀「小烏丸」の写しだけは撮影OKとなっていました。これも日本刀擬人化ゲーム「刀剣乱舞」の影響でしょうね!

まさか旅先でこのような刀剣に出会うと思わず、「おお~」と感動しながら撮影しました。

 

岡崎公園にある徳川家康像

 

岡崎城は「岡崎公園」の中にあります。公園面積はなかなか広くて散歩するのにちょうど良い感じだったので、本当はもっといろいろ回りたかったですね!

ちなみに家康像もありました。松平郷の親氏像と比べるとなんか落ち着いてますね。やはり親氏は信長感がハンパ無い気がする笑

 

岡崎公園内の電話ボックス。可愛すぎて思わず撮影しました!

 

そういえば岡崎公園の中には「二の丸能楽堂」があったのですが、わたしが行った日は丁度どなたかのライブ(?)をやっていたんですよ。

それがラップというかレゲエというか(ここら辺の違いが詳しくわからなくてすみません;)その系統の音楽で。だから公園内を歩いてるともうリズムがすごいわけです。めっちゃ響いてくる!

徳川家康が生まれた城という時点で歴史的だし堅いイメージなのに、流れてくる音楽がめっちゃ現代的で、なんかこう、時代の融合をかんじましたね。個人的にそのギャップがすごい良いなあと思って楽しくなりました(´∀`)

 

  

松平から徳川へ

歴史上の人物はたびたび名前が変わるので分かりにくいですが、家康は「徳川」姓になり、その後栄えていきました。

この改姓については、朝廷から「じゃあ徳川を名乗っていいよ」と言われたようですが、そもそも家康の方から「ウチはもともと藤原系で由緒あるから!」的な働きかけをしたらしく、そもそもは官位(地位)を獲得するための策だったように思われます。

徳川という姓は、平安時代末期~鎌倉時代初期の武士&御家人だった得川義季(世良田義季)に由来するらしく、家康はこの人物を自身の遠祖としたようです。

実際のところはどうなのか分かりませんが、そういうのを含めてやっぱり歴史は楽しいですね!

 

2023年NHK大河ドラマは「どうする家康」

というわけで、今回はプチひとり旅の記録&松平郷についてでした!

家康は天下を取っただけあって聖地巡礼する場所がとても多く面白いです。歴史を感じたいかたは、ぜひ松平郷にも足をのばしてみてくださいませ♪

ちなみに、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」は、タイトルとおり徳川家康が主役ですね。

まつじゅんこと嵐の松本潤さんがどんな家康を演じるのか、とても気になるところです。周囲の俳優陣がなかなか重厚なので、そのあたりも期待ですね。しかし個人的に一番気になるのは、脚本が古沢良太さんだということ!

2023年は家康イヤーになるかもしれませんね♪

  

おしらせ

この記事に使用している写真は、もとみんが撮影したものです。
いくつかの写真は、写真ACにてダウンロードできますので、気になるものがありましたら写真ACからご利用くださいませ。

 

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