こんにちは、もとみんです。
今年4月に織田信長にまつわる聖地巡礼プチ旅をしたのですが、今回はその旅の記録その(2)を書こうと思います。
前回は「名古屋城」「万松寺」「清州城」「清洲古城址」について書きましたが、今回は「桶狭間古戦場」「熱田神宮」「小牧城」などについて書いていこうと思います。
※歴史的な軽い読み物となっております
※旅の思い出やアクセス情報も一緒に書いています
今川義元と戦った「桶狭間古戦場」は広範囲に楽しめる
まずは「桶狭間の戦い」で有名な「桶狭間古戦場」です。桶狭間の戦いは今川義元と信長の戦いとして有名ですよね。この戦いで勝利したことで、信長が天下人への一歩を踏み出したといっても過言ではありません。
そんなわけで、桶狭間古戦場は信長の聖地でもあるけれど、今川義元の聖地(しかも最期の地!)でもあります。また国の指定史跡になっているらしく、案内板やマップもあるので有難かったです。
歴史好きとしては、こういうふうに歴史観光に力をいれている地域は本当に嬉しいです。なかにはまったく歴史や観光に力を入れていない地方自治体もあって、そういうところに観光にいくと本当になにも案内がないんですよ!
サイトにスポットが紹介されていても、住所だけ書いてあってアクセス方法が書いてないとかザラにあるんです。どうやって行くのここ!?といつも疑問に思うのですが、もうそういう土地の場合は執念で自力でいきます。マニアック上等だぜェェ!!!
それはさておき、桶狭間古戦場へのアクセスですが、結構至れり尽くせりで案内があるのだけど、なぜかわたしは迷子になりました(笑)
ちなみにこちらのサイトさんに詳しい内容が書いてあるので、もし桶狭間古戦場に行きたい!という方がいらっしゃいましたらご参考くださいませ!(マップのPDFも入手できます)
- 参考サイト:桶狭間古戦場保存会|名古屋市緑区| - 桶狭間の戦い
- アクセス:名鉄有松駅or名鉄中京競馬場駅から徒歩約20分
桶狭間古戦場の最寄駅は「有松駅」と書かれていますが、わたしはその隣の駅の「中京競馬場駅」から行きました。こちらのほうが若干近いですよと、どこかのサイトさんに書いてあったんです。でも迷子になったので、結局時間がかかってしまいました(笑)
「中京競馬場駅」はその名の通り競馬場のある駅なのだけど、人の流れがあったのでうっかりそれについていったら、いつの間にか競馬場への道を歩いていました。
その日ちょうどレースがあったのか、等間隔に警備員さんらしき人が立っていて、しかも逆流できない雰囲気だったんですよ。あれは焦った~;;でもなんとかUターンしました。
そんなわけで、「中京競馬場駅」から行く場合は、間違って競馬場方向に出ないようにご注意くださいませ。わたしみたいになっちまうので…泣
ちなみに競馬場とは反対方向に出ると、すぐに↓このような案内板が立っています。出口さえ間違えなければOKです!
駅前の案内マップ。いろいろ見所が書いてあります。
ちなみに、桶狭間古戦場公園などにいくと「桶狭間史跡マップ」が置いてあったりします。マップはあったほうが便利かもしれません。
駅から5分くらい歩いたところに「桶狭間古戦場の史跡」があります。さきほどの案内板近くの横断歩道を渡って、わき道に入ってすぐのところにあります。
史跡は小さな公園みたいになっています。土日だったためか、ガイドのかたもいらっしゃいました。
いままで何度か歴史旅をしてきましたが、お城や庭園以外でガイドさんがいるというのはすごく珍しいです。きっと観光客が多いのでしょうね。ちなみにわたしが行ったときは、2~3人、カメラを手にした男性がいました。
史跡はそれほど大きくないので、緑のなかをぐるっと歩いたら、つぎは「桶狭間古戦場公園」に向かいます。
目的の公園までは10~15分くらい歩くのですが、なるべく大通りから行ったほうがいいかもしれません。
わたしはショートカットしようと思い住宅街のなかに入ったら一気に迷子になりました; まあそのおかげで帰りは住宅街に詳しくなりましたけどね!!
ちなみに目印は「DCMカーマ」という赤い看板のホームセンターです。あと近くにクリニックもあります。道がわからなくなったときは、この2つが大き目でわかりやすい建物なので、目印にしておくといいかもしれません。
歴史ヲタには見所たっぷり!?桶狭間古戦場公園
迷子になったもののなんとか「桶狭間古戦場公園」に到着。この公園は住宅街のなかにあって、そこまで大きくはないです。
景色とか見ていると見逃すかもしれないので要注意ですね。
公園の入口には「桶狭間古戦場公園」と大きく掲げられています。わかりやすくてありがたい!!
この公園のみどころはなんといってもコレ! 信長と義元の像です。
地元の方と思われる親子連れが遊んでいましたが、もう歴ヲタ感丸出しでパシャパシャ写真を撮ってしまいました。
公園内には「今川義元のお墓」もあります。いわゆるお寺にあるようなお墓とは違ってかなりオープンですが、新しいお水やお花が供えられていて、じーんときてしまいました。
向かって右側が出土した墓碑で、左側が昭和8年に作られた墓碑だそうです。
こちらは「義元公首洗いの泉」です。信長軍に討たれた義元の首級は、ここで洗い清められたのだそう。
うちの近所にも某人物の「首洗い井戸」とよばれる史跡がありますが、首を洗ったといわれているところってドキッとしますよね。とくにうちの近所の井戸はうっそうと茂る緑のなかにあるので薄気味悪いのです…。
でもここは公園内だしかなりオープンなので、それほど恐ろしくなくてよかったですね。
そういえばこの公園、なにげにジオラマになっていたんですよ!
公園内に○○街道とかの道があったりする。しかもそのジオラマの説明もあるので、みていて面白かったです。
一見、普通の公園なんだけど、そういうところセンスが光ってますね。
名古屋市教育委員会による案内板もありました。こちらは英語もあります。海外からの観光客も多いのでしょうか。
そういえば信長って海外ではどのくらいの知名度なのだろう??
敵方のスポットもチェック!瀬名氏俊陣地跡
桶狭間古戦場公園には周辺マップが入った小さい箱みたいなのがありました。そこで「桶狭間史跡マップ」をゲットしたところ、すぐ近くにも見所があるようなので行ってみました。それがこの「瀬名氏俊陣地跡」です。
そもそも瀬名氏俊って誰?というはなしですが、彼は義元方の武将の一人です。アナウンスによれば、義元の本陣設営のために先発隊として瀬名氏俊が着陣したのがこの場所なのだそう。
そんなわけで信長というより義元の聖地巡礼のほうに入るスポットですね。
桶狭間の戦いが起こったのは1560年だから、いまから約460年前のことです。時間的にまったく近く感じないけれど、それでも確かにこの地で戦いが行われていたんだなあとしみじみ感じる瞬間ですね。
今川義元の首検証跡のある「長福寺」
さらに近くに「長福寺」があったので、こちらにも立ち寄りました。ここは完全に今川義元の聖地ですね。
このお寺は西山派浄土宗の寺院で、義元に仕えていた林阿弥が、主君である義元の首検証を命じられた場所です。
「首検証」は現在でいうところの昇進を左右する考査みたいなもの。当時は戦で勝つと敵方の大将の首を斬り落としたわけだけど、その首が本物かどうかわからないため、検証を行っていたのだそうです。
それで本物だとわかると、その首を討ち取った人が出世ということになる。まさに実力主義ですね!
縁起を読んでみると、この寺院には義元の像と古位牌、松井宗信(義元方の武将。桶狭間の戦いで先鋒だった)の像などが寺宝としてあるそうです。
ちなみにこちらは首検証跡です。なんだかブルッときますね、、
ちなみに、個人的にはこちらの弁天池もブルッときたんです。
なぜかというと、、
この弁天池、江戸時代には「血刀灌ぎの池」だったそうな。桶狭間の戦いで血のついた刀が灌がれたところだったようです。これを聞くとちょっと背筋が寒くなりますね。
だけど案内板を見ると、殺生が禁じられた池、とある。しかも鎮守は弁才天さまだそうです。
弁才天さまといえば日本では七福神の一つで、お金の神様ですよね。しかしインド神話では河川の女神らしい…どちらにしろ縁起がいいのか??