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大人になるってどういうこと?高校生に向けた女性数学教師の人生論がクリティカルヒットだった

2019年2月6日

こんばんは、もとみんです。

先月「ファイナンス系の勉強をしたい」と書きましたが、さっそく始めようと思って本を読み始めたら頭が痛くなりました。

内容が難しいのもありますが、それよりも自分の将来の資産がやばすぎて不安になってきました。なにこれ修行? 速効性の劇薬?

胃が痛くなったのでとりあえず落ち着こうとお風呂に入りましたが、湯に浸かりながら「人生がいかにツラいか」という命題について脳内であーでもないこーでもないと400字詰め原稿用紙5枚くらいに纏めていたら、ふとあることを思い出しました。

それは、高校生のときにある教師が言っていた言葉です。

 

若い女性数学教師が進路指導で言ったこと

ある日のホームルームの時間、進路についての話をすることになっていました。しかし担任が休みだったので、代理の先生がその時間を受け持ちました。そのときやってきたのが「A先生」です。

A先生は若い女性で、数学教師でした。ショートカットで釣り目でキリッとした雰囲気で、言葉がハッキリしているから怖い印象でした。芸能人の小西真奈美さんをさらに釣り目にしてキツくしたかんじです。今でいうサバサバ系女子かもしれません。

ここでは便宜上「A先生」としましたが、ぶっちゃけ名前を覚えていません。というのも、その先生の授業を受けたこともなければ、話したことすらないからです。

以前の記事でも書きましたが、わたしは高校の途中から理数系と喧嘩別れしました。でも高校一年のときはもちろん数学とも付き合いがあったわけです。しかしうちのクラスの数学担当はおじいちゃんの先生だったので、A先生とは接点がありませんでした。

また、3年になると理系→文系の順番にクラスが分かれました。3年1組~2組は理系、3年3組~文系といったかんじですね。

A先生の守備範囲は理系クラスのみ。文系はますますA先生と接点がなくなっていったのです。

ちなみにウチのクラスの担任はほぼ怒らないまったりした男性英語教師でした。生徒と仲が良くて、ほとんど怒ったことがない。悪くいえば「ことなかれ主義」だけど、良く言えば「優しい先生」だったのだと思います。

そんなわけだから、うちのクラスなぞ温室育ちのようなものです。だってビシッとなにか言われた記憶がない。

だけどですよ、そんなぬくぬく育ったうちのクラスに、椎名林檎とか東京事変とか好きそうなA先生がやってきて、ちっとも笑いもせずに、真顔で、抑揚のない声で言ったのです。

 

「みなさん、”大人になる”ということは、どういうことかというと、、」

 

「可能性を1つずつ失っていくということです。」

 

あの時の衝撃は今でも忘れられません…

だって、普通は可能性のある高校生にそんなこと言わないと思いませんか!?

「君達は若いからチャレンジしなさい」とか「羽ばたいていってください」的なことを言うじゃないですか。

だけどA先生はそうじゃなかった。もう突然哲学的なことを言い出した。「人間はなぜ生きているのか?」「生きる意味とは?」と同じくらい答えの出ない「大人とは?」を口にしたのです。

それこそ大人になると、このような文言も「確かに…」と納得できます。だけどその当時の自分には衝撃しかなかった。

「こんなマイナスなことをガツンと言ってくるなんて! きっとこれが真実なんだ!」となぜか感じた。

学生だったころ、大変お世話になった先生とか、好きな先生もいました。だけど不思議なことに、そういう先生の言葉はあんまり覚えていないんです。たぶん一番鮮明に覚えているのがこのA先生の言葉なんですよね。

 

A先生の言葉に説得力がある理由

その当時、A先生はまだ20代の若い教師でした。「大人論」を語るとすれば、もっと人生の先輩にあたる先生のほうが適任だったかもしれません。しかし、個人的にA先生の言葉には説得力があるように感じました。

 

それは何故かというと、、

 

A先生は不倫していたから!!!

 

相手がだれかとか、どういう経緯かとかはわからないけど、少なくともA先生は「誰かの夫を愛するという茨道を自分で選んだ」ことになります。で、A先生は「大人になることは可能性を1つずつ失うこと」だと言った。つまりこの時点で「独身男性との障害のない恋愛」という可能性を失った、ということになります。

20代の美しい時代を不倫に捧げたとして、例えば30代になって相手と別れるとしますよね。20代は女性にとって恋愛も結婚も妊娠もしやすく、いわゆる女性としての市場価値がもっとも高い年代です。しかしそれは30代になると悲しいかな落ちてしまう。

20代で高校教師という教育者の地位にありながら不倫に走るって、とても大きな可能性と資産を放棄している(=めっちゃリスクをとる生き方)と思うのです。

ここまでリスキーな生き方してる人の言うことだから「あ、これは重みや痛みが伴っているな。なんだかリアルな大人の意見だぞ」って気がしたんです。

 

大人になると実際に可能性は狭まるのか?

A先生のセンセーショナルなバックグラウンドはともかくとして、じゃあ大人になると本当に可能性は減ってしまうのでしょうか?

今考えてみると、多分そんなことないですよね。年齢制限のあるものは無理だけど、大人になっても可能性は意外と残ってるように思います。少なくとも、世間体と常識と恥と嫉妬の感情を捨てれば意外とイケる気がします。それが難関だけど!笑

A先生の言葉って、結局は取捨選択のことを言っていたんですね。

 

子供は楽しくて大人はツライのか?

ところで、先日CDを買いに横浜に行ったんです。そしたら推定30代中盤の男女3人が「俺も高校生に戻りたいわ~」と言いながらROUND1に入っていきました。

また、飲み屋のキャッチの兄ちゃんが「俺中学からやり直したいっすよww」と仲間内で話しているのも耳にしました。これらの言葉を聞いてなんだかしみじみしました。

その日買ったCDは、20代の若手バンドのものです。彼らは「大人になるのが悪い奴らに媚びることだとしたらそんなのゴメンだ!」と歌っていました。わたしはBLUE ENCOUNTも好きなんですが、彼らもまた「大人のいうことなんてきくか!」的な歌詞を歌っています。

こういう曲を聞くたび持病のピーターパン症候群が重篤化して「そうだそうだー!」と野党のようにヤジを飛ばす次第です。

しかしどうでしょう。ギリギリ平成の1997年に発売された中谷美紀さんの「砂の果実」の歌詞を思い出してみてください。

 

あの頃の僕らが笑って軽蔑した
恥ずかしい大人に あの時なったんだね

 

どうやらこの世には、大人のことが大嫌いな人がたくさんいます。

だけど、大人になったら今度は高確率で「あの頃に戻りたい…」と嘆くことになります。忙しいったらありゃしません。

この世のほとんどは大人と呼ばれる人々で構成されているわけだから、子供が「理不尽だ!」と怒るのはわかります。

だけど大人はなぜ嘆くことになるのでしょう?

大人になるとさまざまな制約が解禁されて、なんでもできるようになりますよね。それでも子供に戻りたいっていう。

以前わたしが女子高生の話を盗み聞きしたところ、高校生も特に楽ではないということがわかりました。こういうのを聞くと、そうだよなあ…その時代ごとの悩みってあるものだよなあ…としみじみしてしまいます。

 

若くないと価値がない?大人は不利なのか?

本を読んだり動画を見たりすると、「日本では若さが重要視されている」という意見をたびたび見かけます。もしそれが本当なら、歳をとってから行動するのは不利だといえますよね。

かくいう自分も「もっと若ければな…せめてあと10歳くらいは!」とちょくちょく思うことがあります。

しかし中にはそれに異を唱える人もいます。

堀江貴文さんは「高校生なんてただ若いだけじゃん」と言い放ってましたし、以前本の感想を書いたアニメ監督の押井守さんも「若いことに価値はない」とおっしゃってました。

でもこれは、「若いからダメ」ということではなく、「若かったらできたのに…」というのは違うだろう、ということのようです。だからこれは、未成年への言葉ではなく、大人に向けての言葉ですね。

若かったらできた、という言葉を口実にして逃げてない?ということなのだろうと思います。

そういえば、かつて秒速で1億稼ぐ男として名を馳せた与沢翼さんも「今すぐ行動したほうがいい。人生で一番若いときは今だから」と発言していましたね。確かに今この瞬間こそ一番若いんですよね…この言葉には唸りました!

 

大人ってなんぞや?

そんなわけで、久々にA先生の言葉を思い出してイロイロ考えてしまいました。わたしは低スペック系の大人なので、やたらめったら立派なことを言いだす大人にはクレームをいれたい所存です。

大人だって知らないことやできないことはたくさんあるんです。大人だって歯医者は怖いんです。怒られたくないんです。それでも震える指で歯医者に予約の電話を入れるんです。なんという勇気!!! もうそれだけで立派だ!!! そうでしょう!!?(※個人の感想です)

ではでは、また!

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