育児

子育てが怖い…毒親育ちの人が親になるとき、覚悟しなければならないこと

こんにちは、もとみんです。

ここ最近、我が家のお子様がトテトテと歩き回るようになり、そのパワフルさについていけず毎日ヘトヘトになっております。腰が痛ぇ…!

とくに我が家の場合、実家に預けたり実母に手伝ってもらったりできないのが痛いんですよね。実家はそれほど遠くないのですが、それでもそうできない理由があるんです。

というのは……

 

「毒親」だから

 

です。

こんなことを言うと親は200%確実に「自分は毒親じゃない!」と否定すると思いますが、こちらとしてはあんなこと~こんなこと~あったでしょ~という思いでして…数々の苦難を思い出すとどう考えても毒親です。

育児って夫婦だけではいっぱいいっぱいになってしまうことが多いし、できれば親を頼りたいところなんですが、さすがに毒親を頼ろうという気にはなれず……。

なので、親に手伝ってもらっているとか、いつでも実家に預けられるとか、そういう理想的な関係を築いている方がめちゃくちゃ羨ましいなあ〜と思うんですよね。

そんなわけで今回はちょっとアレな内容ですけど、「毒親と子育て」について語ろうと思います。

 

 

子育てすると、自分の生い立ちを思い出す

世間では、家族は助け合うものであり、絶対的に大切にすべきもの、みたいな認識がありますよね。とくに親に対しては、育ててあげたんだから恩返しして当然、という風潮があるように思います。

わたしの場合、いつからか実家が苦手になりました。20代中盤くらいまではそうでもなかったんですが、じょじょに受け付けなくなっていったんですよね。

実家を出る数年前くらいからは本当に毎日が息苦しくて、もう〜ほんとにしんどかった!ここ地獄なの?!的な日々でしたね。

そういう実家を出てあたらしい家庭をもち、今では自分も親という立場になりましたが、いざこうなってみると視点もいろいろと変わってきました。

そのあたりの詳しいことはまた機会があれば別途書きたいなあと想うのですが、とにかく子育てをしていると自然と自分の生い立ちを思い出すんですよね。

幼い頃の自分はどうだったかな?とか、小学生頃にはこんなこと考えてたなぁとか…

そういう意味では、「子育てと自分の生い立ちは切っても切りはなせないもの」だと思うんですよね。まさに、脈々と続く遺伝子のルーツというやつでしょうか?

  

毒親育ちにとっての子育ては「恐怖」

先日ネットを見ていたら、「毒親育ちの人の多くは、子育ては怖いものだと感じている」といった記事がありました。これを見たとき、ああ、確かになあ…と思いまして!

わたしの場合は、子供をもつのが怖い、育てるのが怖いといった気持ちは特になかったんです。でも、やはり「ちゃんと育てられるかどうか」は大きな気がかりでした。

というか、これはもう現在進行系ですね。なにせリアルな参考データが身近にないんですから!身近にあるのは失敗データのみというまさかの事態!😭

そんなわけで、参考データがないなりになんとか育児していますが、毒親に育てられた人間としてしみじみ思うことがいろいろあるんです。そのうちの一つは、「親として覚悟しなければならないだろうなぁ」と感じるものでした。

 

親として覚悟しなければならないこと

毒親育ちのひとが親になるとき、これだけは覚悟しなければならないと思うこと。

それは、

 

子供から否定されること

 

です。

 

ためしに想像してみてください。大事に育てた子供から、こんな言葉をかけられたとしたら……?

 

「生まれたくなかった」

「産んでなんて頼んでない」

「親だと思ってない」

 

う〜ん、なんでしょう、もう想像するだけでツライ!悲しすぎる!

でもこれ、よくよく考えてみると、毒親に対して思ったことがある内容だったりしませんか?

自分の親に対して思ったことがあるのに、子供にそう言われるのはツライだなんて、なんだかちょっと都合がよすぎるのでは……なんて反省する必要はありません。

だってそう、これらの言葉がこんなにつらく感じるのは、「ずっと毒親に自分の存在を否定されて育ってきたから」なんですから。だからこそ究極にツライ。

それなのに自分の子供にまで否定されるなんてもはやHP0になるのは必至。誰かポーションをくれ。もしくは教会に連れていってくれ。

 

でも………おそらくこれ、覚悟したほうがいいと思うんですよ。

 

もちろん、必ずそういう未来がやってくるわけではないし、いつまでも親子円満に過ごせるかもしれない。でも、そうじゃない可能性だってある。

もし「そうじゃなかった」場合、もともとこうなるかもしれないと想定しておけば、すこしくらいは心の傷が緩和されるのではないかと思うんです。

 

毒親の連鎖をとめるために必要なこと

なぜ子供から否定されることを覚悟しなければならないかというと、「毒親の連鎖を止めるため」です。

幼少期にDVを受けた人は、自分の子供にもDVをする可能性が高いといいます。また、親が離婚していると子供の離婚率も高くなるというデータもありますよね。

これらが示すのは、「幼少期の家庭環境が、自分の子供の家族環境にも影響を与える」ということです。

 

おそらく毒親育ちの誰もが、毒親の連鎖が続いていくのは避けたいと思っているでしょう。

そのためには、たとえば先ほどの例でいえば、自分はDVを受けたけれど子供にはDVしない、といったように、幼少期の風景を繰り返さないことが重要ですよね。

しかし、毒親育ちのひとがすべてDVのような明らかに目に見える形の支配を受けていたとは限りません。なかには、よくわからないうちに心を蝕まれたというパターンもあるでしょう。

いずれにせよ、毒親が毒親であるゆえんは、「子供をコントロールしている」という部分にあります。「コントロール=支配」ですから、親が思うように子供を操作しているということですよね。

このとき子供は、コントロール(支配)されて自分の意見がないがしろにされている状態です。なにかいっても頭ごなしに否定されたり無視されたりと、とにかく子供の心が満たされることはない。

 

つまり、毒親の連鎖を止めるために大切なのは、子供の意見を尊重する、ということ。

 

もし親子の意見が違ったときに、親である自分の意見を一方的に通してしまったら、結果的に子供の意見は無視されたことになりますよね。そうなれば、子供はフラストレーションがたまります。自分は理解されていないと感じる。親を信用しなくなる。

そしてなにより、そういった行為は子供の支配に繋がります。そう、つまりそれは、自分を苦しめた毒親がやっていたこととまるで同じです。

だからこそ、子供から否定されることは覚悟しなければならないだろうなあと思ったんですよね。

 

毒親にとって「自分は正しい、子が間違っている」

ほとんどの毒親は、自分が毒親だなどとは微塵も思っていないでしょう。こういうのって受けた側しかわからないだろうし、能動的に気づこうとしないと気づけないですよね。

毒親は基本的に、自分は正しいと思っています。そして、子は間違っていると。だからこそ子供の意見を否定して、自分が正しいと思う言動を貫く。

もちろん、親が100%子供の意見をきけばいいというわけでもありません。そうなると今度は子供の手本になることができないし、親の威厳がなくなってしつけもできなくなるでしょう。なにより自立心が育ちません。ガチで危険です。ガチで。(二度目)

 

一言で毒親といってもいろいろなパターンがあるので難しいですが、とにかく「子供の意見を尊重する」ことは大事だと思うんですよね。

これってもしかしたら普通の家庭では当前のことなのかもしれないけど、毒親育ちにとっては十中八九普通じゃなかったはずです。だからこそ、常に念をおしておかなきゃいけないなあと感じるんです。

正常じゃない家庭で育った人間が、正常を目指す。これって結構むずかしいですよね。

でも常に確認しながら一歩一歩すすむことで、毒親の連鎖を止められるはずだと信じたい。

 

誰しも毒親になる可能性はある

記事の冒頭で「親は200%確実に、自分は毒親じゃない!、と否定すると思う」と書きましたが、正直これは自分自身にも当てはまると思っています。

毒親の連鎖を止められるように頑張ろうと思っているけれど、実際に今後子供がどう感じるようになるかはわかりません。子供が「うちの親、毒親だ」と感じたら、もう毒親認定です。

つまり、誰しも毒親になる可能性はある、ということ。どんなに気を付けていても、そうなる可能性はある。

この可能性を0%にすることは不可能かもしれないけれど、それでもできる限るのことはしたいなあと思うんですよね。そのために、いつか子供から否定されるかもしれないことだけは覚悟しておこうかなと思います。想像するだけでグサッとくるけど!

もちろん、できればそうならないことを祈りつつ……

ではでは、また!

 

-育児
-,